がもにゃん通信 第39号「秀行、関ヶ原の戦い後に、会津60万石に返り咲く。」
秀行が宇都宮に移った1598年の8月、秀吉が63歳で亡くなりました。
そしてその2年後、関ヶ原の戦いで徳川家康が勝利します。
家康は、はじめ上杉景勝(うえすぎ かげかつ)を攻めるつもりで会津に向かっていました。この上杉景勝は、秀行のあとに会津をおさめた大名です。
しかし、石田三成が関ヶ原で兵をあげたので、家康はそちらに向かい、秀行は家康の子の結城秀康(ゆうき ひでやす)とともに上杉勢と対していました。
この時、秀行には大きななやみがありました。どんななやみだったのでしょう?
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