がもにゃん通信 第37号「秀行、家康の娘「振姫(ふりひめ)」とめでたく結婚~しかし…」
秀行は京都の蒲生屋敷で生まれ、それまで会津に行くことはありませんでした。
領地を取り上げられることをのがれた秀行は、父氏郷の死後、初めて会津へ入ることになりました。しかし、秀吉は秀行だけの会津入りを許さず、浅野長政を同行させて、それからの領国経営(りょうごくけいえい)のお目付役(おめつけやく)としました。
浅野長政は秀吉の親せきで、これから蒲生家は秀吉の思うがままに動かされるようになっていきます。
秀行の運命はどうなっていくのでしょう?
また、秀行の”ひいひいひい”おじいちゃんの蒲生貞秀公が日野に築いた「音羽城」について紹介します。
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