蒲生氏郷公430回忌法要 大徳寺黄梅院 妙心寺大心院
2月7日(金)、大徳寺黄梅院にて蒲生氏郷公の430回忌追善法要が執り行われました。
日野町役場前からバスで京都へ、現地集合の方を含めて日野町の顕彰会からは約20名の参加でした。
松阪からもバス1台で来ておられました。会津若松の奉賛会会長は例年にない大雪のために出発することができず今回は見合わせられました。
氏郷公ゆかりの3市町以外に他の府県からのご参加もありました。総勢80名以上の方が氏郷公の遺徳を忍び参列され、黄梅院の小林太玄和尚の読経でしめやかに追善法要が行われました。
利休七哲の筆頭である氏郷公は千家の存続に多大な貢献があり、毎年三千家からも来られ、今年は武者小路千家 官休庵様が供茶をされました。読経前の奉茶も武者小路千家のお手前でいただきました。
読経・焼香の後、小林大玄師よりのご挨拶があり、氏郷公のことだけでなく、織田信長・豊臣秀吉などの武将と大徳寺の関わりなどについてもお話し頂きました。
その中でも、毛利攻めで備中高松城を包囲していた秀吉によって切腹させられた清水宗治公の孫がこの黄梅院の住職となり、信長や秀吉の供養も行っていたというお話が印象的でした。
法要の後、氏郷公のお墓にも詣で墓前に長い列ができました。
しょうざんリゾート紙屋川にて昼食後、妙心寺の塔頭、大心院に向かいました。
このお寺は、足利幕府の管領、細川政元により建立されましたが、現在の本堂は蒲生家最後の当主、蒲生忠知公により建立されたものです。
一時は寺勢が衰え、寺にあった文物等も散逸し、蒲生家に関わる資料なども残っていないということですが、現在では妙心寺にお参りする派内各寺の檀信徒だけでなく、広く一般の人々にも利用される宿坊寺院として復興されています。詳しくはこちら→https://www.daishinin.com/
(文:福永,若林 編集:吉岡)
総勢80余名の参列
黄梅院山門
黄梅院庭園
黄梅院本堂
武者小路千家による奉茶の席
菓子は京銘菓の阿闍梨餅でした。
本堂の霊前
織田信長公、蒲生氏郷公、冬姫の肖像画
大勢のご参列
小林太玄和尚の読経
お焼香
武者小路千家 官休庵様による供茶
小林大玄師のご挨拶
氏郷公と冬姫のご位牌
氏郷公:昌林院殿高岩宗忠大居士
冬姫:相応院殿月桂凉心英誉清薫大禅定尼姉
蒲生氏郷公墓所
辞世の歌碑
正室 冬姫の供養塔
日野町長徳寺の照井佑佳副住職と顕彰会正木事務局長
日野町から持参した若草清水をお供えされました。
堀江町長お参り
奥田会長お参り
堀江理事お参り
金子副会長お参り
チャーターバスでしょうざんリゾート紙屋川へ移動。
しょうざんリゾート紙屋川で昼食。
呉竹理事によるご挨拶。
京都市右京区の妙心寺 多くの寺院が並びます。
大心院ご住職のご挨拶
現在の本堂は蒲生家最後の当主、蒲生忠知公により建立されたもの
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