がもにゃん通信 第35号「氏郷~その後」
氏郷が世を去ったとき、その子の「鶴千代(のちの秀行)」は、まだ13歳の少年でした。氏郷は自分と同じ幼名をわが子につけたのですね。このあとは、ややこしいので秀行とよびます。
秀行は日野城で生まれ、1歳から8歳ころの幼年期は松坂ですごします。ただ、氏郷が会津に移ると、京都の南禅寺(なんぜんじ)で修行をすることになりました。
これは、秀行がひ弱な子であったため、禅(ぜん)のきびしい修行にたえて、名をうしなわな いような武将の器に成長すれば蒲生家をつがせ、そうでなければ僧にしようという氏郷の考えだったと言われています。
今回は氏郷亡き後の秀行について触れていきます。
また、蒲生家の中興の祖(ちゅうこうのそ)と云われる蒲生貞秀公についてご紹介します。
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