がもにゃん通信 第20号 氏郷、会津42万石にうつる
小田原の戦いが終わり、それまで秀吉にしたがおうとしなかった伊達政宗(だてまさむね)をはじめとする東北の大名たちも、多くが秀吉にしたがうことになりました。
秀吉は、新しく平定(へいてい)した関東(かんとう)と東北をおさめるために、関東に徳川家康(とくがわいえやす)を、東北の会津(あいず)に氏郷をおくことにしました。
なぜ氏郷は会津をおさめることになったのでしょう。また、そのときの氏郷はどんな気持ちだったのでしょう。
小田原の戦いが終わり、それまで秀吉にしたがおうとしなかった伊達政宗(だてまさむね)をはじめとする東北の大名たちも、多くが秀吉にしたがうことになりました。
秀吉は、新しく平定(へいてい)した関東(かんとう)と東北をおさめるために、関東に徳川家康(とくがわいえやす)を、東北の会津(あいず)に氏郷をおくことにしました。
なぜ氏郷は会津をおさめることになったのでしょう。また、そのときの氏郷はどんな気持ちだったのでしょう。
0コメント