鶴千代クラブ学習会 第13回「浅井長政と小谷城」
3月30日、作年から2度延期されていた鶴千代クラブ学習会 第13回「浅井長政と小谷城」をやっと実施することができました。直前の期日設定で、参加者はクラブメンバー2人、保護者2人、顕彰会理事3人の少人数でしたが、天気にも恵まれ気持ちよく歩くことができました。
当日は、それぞれが電車・車移動で、小谷城歴史資料館駐車場に集合。10時過ぎには車もたくさん駐まっており、駅から団体で小谷城をめざす人たちの姿も見えました。
歴史資料館では、ボランティアガイドの方に、
「浅井三代が北近江を支配していった経緯」
「浅井家と京極氏・六角氏との関係」
「浅井長政が六角氏と縁を切り織田氏と関係を深めていったこと」
「信長との関係が悪化し、ついに攻め滅ぼされてしまったこと」
「長政の子ども、2人の男子と3人の女子のその後」
などについて大変くわしく説明していただきました。
資料館を出た後はいよいよ小谷城跡の散策です。最初の登りは体もまだ登りに慣れていないのでけっこうきつかったです。
金吾丸・番所・お茶屋・御馬屋敷の後、桜馬場に到着。ここでお昼休憩にしました。ふもとの町並みや琵琶湖の眺めなどを堪能した後、再度出発。ここからが小谷城跡の中核部になります。
広大な大広間跡、長政が自刃したと言われる赤尾屋敷跡、本丸跡とその奥の巨大な大堀切り跡、京極氏をむかえた京極丸跡、山王社を祀った山王丸跡(4月6日に行われた中井均・太田浩司両氏の対談の中で中井先生はこの山王丸こそが小谷城の本丸ではなかったかとの説を述べられていました)など、秀吉による徹底した破城をうけたにもかかわらず、大変見どころの多い遺構が残されていました。
六坊まで下り、そこで一旦解散ということにし、希望者は大嶽(おおづく)まで登ることにしました。
段差の大きい階段が延々と続き、大変しんどい思いをして浅井亮政がはじめに築き、小谷城攻めでは、氏郷父子が柴田勝家の与力として共に攻めたと思われる大嶽城跡に到着。
休憩憩の後、六坊からは秀吉が京極丸まで攻め上ったと言われる清水谷を経て下山しました。
なかなか歩きがいのある城跡探訪になりましたが、得ることの多い一日になりました。参加の皆さん、お疲れ様でした。
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