がもにゃん通信 第26号「氏郷、「会津黒川」を「会津若松」にあらためる」

 九戸の乱もおさまり、天下は統一しましたが、秀吉は朝鮮を攻める兵をおこします。氏鄕も九州出陣の準備をするため、いったん会津にもどりました。そこで氏郷は、新しく城を作りなおすことと、城下町を整備することに取りかかりました。まず、それまでの「会津黒川」の地名を「会津若松」に変えました。氏郷の新たな町づくりが始まります。

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