鶴千代クラブ学習会 第8回「佐和山城・彦根城 城あとたんけん」

 2022年10月10日(月 祝日)第8回目の鶴千代クラブ学習会を開催しました。今回は「城あとたんけん」として、佐和山城と彦根城を見学しました。 

新しく鶴千代クラブのメンバーに加わってくれた日野町西大路の小学6年生の方と、今回このホームページをご覧になって入会いただいた愛知県長久手市の中学2年生の生徒さんを迎えて7名全員での城跡探検になりました。お母様も2名参加してくれました。講師は佐和山城は若林先生、彦根城は吉岡先生が担当しました。

 8:50に林業センターに集合、それぞれの車に便乗して彦根市に向かいました。彦根駅で愛知県からのメンバーと落ち合い、佐和山城跡に到着。10:00から佐和山城探検を開始しました。

 佐和山城跡へは麓の劉潭寺から入ります。山門の前には城主だった石田三成公の銅像がありました。急な坂道を尾根まで行くと切通しがあります。西へ行くと彦根城、東へ行くと中山道に至ります。

 中ほどの曲輪には塩硝櫓があり、当時塩か火薬を保管した櫓とされています。さらに行くと西の丸跡にたどり着きます。周りにはいくつか堅堀が見られました。急な坂道を登りきると山頂(232.6m)の本丸に到着です。西側には琵琶湖や彦根城がよく見えました。東側には中山道も一望でき、重要なお城であったことがよくわかりました。

 本丸から少し南に下ると角石垣で跡があります。関ケ原合戦の後に廃城となり、彦根城に流用されてわずかしか残っていません。少し歩くと千貫井と呼ばれる井戸がありました。当時のお金千貫にも代えがたいと言いう意味で命名されたそうです。

 下山後、お弁当を食べました。朝までの雨でレジャーシートなどを敷きづらかったので車の中でいただきました。お土産にいただいたお菓子をみんなで分けて食べました。

 午後から彦根城に移動。京橋口から車で城内に入ります。城内の駐車場に車を停めて大手御門からチケットを購入して入城。急な登城坂を上り、大堀切りに入ります。本丸を守る天秤櫓と鐘の丸の間にかかる天秤橋は彦根城の最大の防御施設です。どこから攻め入ってもこの橋を通ることになり、天秤櫓の前で立ち往生、鉄砲、弓矢の餌食になるか、橋を落とされて退却するか選ぶ事になります。

 彦根城が戦場になったことはありませんが、400年という長い何月の間で城郭を維持するための修理は幾度も行われてきました。築城当時の400年前の石垣が残っている箇所もあります。江戸時代になって修理された石垣もあります。特に天秤櫓の石垣は時代によって積み方が変化していく様子がよく見て取れました。

 太鼓門をくぐったところで大雨が降ってきました。本丸でひこひゃんに会える時間帯でしたが雨のためひこにゃんは撤収、残念ながら会えませんでした。雨がしのげる天守閣の中を見学しました。1607年の建築当時から残る現存天守です。他には姫路城、松本城、犬山城、松江城があります。1952年に国宝に指定されました。望楼型の天守で、唐破風や切妻破風、入母屋破風、花頭窓、高欄付き回縁など、現存天守の中で最大の華やかさを誇ります。

 天守を出た後も雨が止まないので残念ですがそこで終了にしました。西の丸やのぼり石垣なども見学したかったのですが各々またの機会に探検に来てみてください。

 皆さんよく佐和山城と彦根城を歩き切りました。一日で2つのお城を攻めるのはなかなか大変だったと思います。お母様方もお疲れ様でした。お子さまの興味に理解を示される姿勢に敬服いたします。今後ともよろしくお願いいたします。次回の鶴千代クラブも楽しみにしたいと思います。


登城前のミーティング

石田三成公銅像

龍潭寺の山門から佐和山城に入る。

急な坂道が続く

切通し。 西へ行くと彦根城、東に行くと中山道

塩硝櫓跡 火薬か塩を保存していた櫓

西の丸

西の丸表札

本丸に到着

本丸から彦根城を望む

本丸跡表札

本丸の佐和山城石碑の前で。

彦根城に流用され、わずかに残る石垣。

千貫井(せんがんい)

千貫井表札

下山。

車の中で昼食。

車の中で昼食。

彦根城

切通し

時代によって石垣の積み方が異なる。

天秤櫓

太鼓門の桝形

天守閣の中を見学

国宝の天守閣登頂記念に。



蒲生氏郷公顕彰会 日野

滋賀県蒲生郡日野町で活動している顕彰会のホームページです。

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