がもにゃん通信 第33号「氏郷の死。」

 吉野・高野山から帰った氏郷は、4月に秀吉を伏見(ふしみ)にある自分の屋敷にまねいています。そのころはかなり病気が悪化し、秋になる頃には顔色もすぐれず、しだいにやせこけていったということです。

 11月、氏郷は秀吉をはじめ多くの大名をまねいて、大きな宴会をもよおしました。しかし、この時の氏郷はだれから見ても相当に弱っていることが明らかでした。その5日後、秀吉は当時日本一と言われた医師の曲直瀬道三(まなせ どうさん)に氏郷を診察させます。

 今回は名だたる大名と名医が何とかして氏郷の病を治そうと努力した様子と、願い叶わず惜しまれながら亡くなった様子を紹介します。

 また、氏郷が詠(よ)んだ有名な辞世の句(じせいのく)を紹介します。

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